「延命を望まない」
その意思を尊重できたとき、私たちは「正しい選択を支えられた」と思うかもしれません。
しかし、在宅療養の現場である患者さんの家族からの手紙が、その前提を揺さぶりました。
「もし娘の最期や今いる場所を理解できていたなら、私は娘のそばにいたかった。」
看取りを終えたあと、残された家族から届いたその言葉。
そこには、表に出せなかった本音と、拭いきれない後悔が滲んでいました。
ACPは「延命をするか・しないか」ではない
ACP(アドバンス・ケア・プランニング)は、しばしば「延命治療の選択」と誤解されます。
しかし本質はそこではありません。
延命をするか、しないか。
人工呼吸器をつけるか、つけないか。
その結論だけを切り取れば、話し合いは決断で終わります。
けれど本来のACPは、結論を出すことよりも、対話を重ねるプロセスそのものに意味があります。
なぜなら、最期の選択は「本人」だけの問題ではないからです。
本人の意思を守った…それでも残る後悔
患者さんの意思を尊重し、家族へ伝えなかった。
医療者として、患者さんの想いを汲み取った最期のケアが実現できたと思っていた。
けれど、後になって見えてくる残された人たちの感情があります。
「本当は、もう少しそばにいたかった」
ACPは、本人の意思決定支援であると同時に、残された人の後悔を小さくするための対話でもあります。
結論だけを急ぐと、家族の気持ちは置き去りになります。
逆に、日常の中で何度も対話を重ねていれば、たとえ結果が同じでも納得の質は変わるのです。
医療情報だけでは足りない
多職種連携の場では、つい医学的情報が中心になります。
病状、検査値、治療方針。
しかし、その人の「好きなこと」「嫌いなこと」「大切にしている価値観」が共有されていなければ、その人らしい支援はできません。
連携の質は、その人の解像度で決まります。
解像度を上げるのは、伝える力と受け取る力。
つまり、チームケアを行う人同士の双方向のコミュニケーションです。
「どう死ぬか」「どう生きるか」より「どのように生きていくか」
私が在宅看護の現場で大切にしているのは、「どう死ぬか」ではなく、「どのように生きていくか」。
その延長線上に看取りがあります。
ACPは終末期の話ではありません。
日常の中で価値観を共有し続ける営みです。
この記事では一部しか触れていません。
看取りの現場で起きた「誰にも言わないで」という一言。
その意味を、ぜひご自身の立場で考えてみてください。
実際のエピソードとともに、ACPの本質を語った動画はこちらからご覧いただけます。
■動画
【お役立ち研修】




















